水道局の歴史 はとがやの水道のあゆみ
創設事業(昭和33年度~昭和37年度)
鳩ヶ谷町に水道が給水開始されたのは昭和33年8月15日、暑い日差しの照り付ける夏の日のことでした。町民の期待を背負ってのデビューとなりました。
それまで、自宅や共同で井戸を掘り、寒い冬でも重いバケツで風呂に水を運び、食器や野菜などの洗い物は外の井戸端でと、水を利用するために重労働を強いられてきた町の人たちの喜びは大きかったと伝えられています。
水道を創設するにあたり、浄水場の場所の選定や水源をどこに求めるかなど問題山積の中で鳩ヶ谷町の人々は一丸となって計画を進めて行きました。当時、水道の運営を経験した者も水道技術者もいない中での創設事業のため、苦労を極めました。
浄水場は桜町
まず、水道施設の中心となる浄水場の場所として市内の高低差などの地形的要件、施設を作るための広い面積、これらの要件を満たす場所として現在地の桜町(旧、浦寺地区)を選定しました。
次に、どの程度の規模の水道とするかについては、当時の町の人口が1万8千人に対して85%程度の1万5千人を給水人口と想定した規模としました。井戸の暮らしに慣れていることから、水道が急激に普及するとは考えていませんでした。
この人口に対する一日当たりの最大給水量を2,700m3と見込み、水源としては県内で主流であった地下水を利用し、井戸2本でスタートすることといたしました。
健康を担う水道
水道は法律によって国民の健康と衛生を守る重要な事業と位置付けられており、誰もが勝手に始める訳には行きません。
現在でも厚生労働省に申請をして、水源として取水が確実かどうか、水質的に問題がないか。また、技術基準に基づいた施設であるかどうかなど多項目にわたって審査を受け、全てにおいて合格した事業体だけが事業の認可を受けることができます。また、生命にかかわる重要な事業ということで基本的には地方公共団体が経営します。
鳩ヶ谷市の創設事業は完成目標年度を昭和47年度に定め、昭和32年12月12日に認可されました。
その後、急ピッチで井戸の掘削や浄水場の建設、そして道路では水道管の埋設工事が行われ、昭和33年8月15日に一部が給水可能となりました。
水道が通水した時期と、ほぼ同じ時期に浄水場の隣りと、里地区に住宅公団(現在の都市基盤整備公団)の団地が新築され、都内を始め近隣の市町村から移り住む人が増え始めました。また、高度成長経済を背景に地方から都心への人口集中が著しく、鳩ヶ谷の人口も急増しました。このため、当初予定していた水道の規模が昭和47年の目標年度を待たずに突破し、昭和36年には計画給水人口を50%もオーバーする2万2千人を超え、浄水場の供給量が不足して町の一部に断水が発生するという深刻な事態に陥りました。
第一次拡張事業(昭和38年度~昭和40年度)
このため、町では水道事業の規模を変更するため、昭和50年度を目標に定め、国に事業の変更認可の申請を行い、昭和37年12月22日に認可されました。この事業の概要として、給水人口は、それまでの伸率から4万5千人、最大給水量は11,250m3としました。
また、これに見合う水源として4本の新たな井戸を掘削することになりました。
拡張工事は給水を続けながら、浄水場としては狭い敷地の中に新しい施設を作るという困難の中、隣地の耕作地を買収し、昭和42年度末に新施設で給水することができました。完成の喜びもつかの間、好景気による生活水準の向上から、自宅風呂の所有や電気洗濯機、浄化槽式水洗トイレの普及などによって、一人当たりの使用水量が増加し、再び計画値との違いが大きくなってきました。
鳩ヶ谷市制施行(昭和42年4月1日)
人口の伸びはなおも続き、ついに市制施行に必要な4万人(当時の目安)を突破したため、昭和42年3月1日、鳩ヶ谷町は市制に移行しました。当日の総人口は41,481人でした。
第二次拡張事業(昭和42年度~昭和45年度)
人口の更なる増加、生活環境の変化とともに給水量は増え続け、昭和42年には1万2千m3を超え施設能力一杯になってしまったため、急きょ水道規模の変更を申請することになりました。目標年度は昭和46年と短く取り、給水人口も6万6千人、最大給水量は23,100m3と、これまでの経験から、やや大きめに申請し、昭和42年1月28日に認可されました。
また、水源として新たに7本の井戸を掘削する計画とし、3本を掘削しました。しかし、手狭な浄水場敷地で施設建設の支障となることから第一号水源は廃止することになりました。そして昭和44年3月に、現在の浄水場の原型が完成しました。しかし、高度成長期のツケともいえる地盤沈下による公害が問題となり、井戸の新規掘削は中止し、昭和46年に県営水道から河川水を水源とした浄水を購入することにしたため、水源の変更また、人口の伸びも鈍化してきたため、6万人に減じ目標年度を昭和50年に延長した認可を受けました。
その後、オイルショックなども影響して鳩ヶ谷市の人口や最大給水量は伸び悩み、水道の規模を変更する状況はありませんでしたが、昭和50年には遂に鳩ヶ谷市の全世帯に水道が入る普及率100%を達成しました。
第三次拡張事業(昭和60年度~平成7年度)
昭和50年代後半に入ると、人口は微増ながら、下水道の進捗や全自動洗濯機の普及などの影響で使用水量が増え、また、地下鉄延伸の計画もあったことから、新たに目標年度を平成7年として、昭和60年2月8日に最大給水量を28,100m3に、給水人口を6万5千人と水道規模を変更する認可を受け、現在に至っています。
更新事業
第三次拡張事業では、主に電気・機械設備の更新を行い、建物や構造物はそのまま利用しています。しかし、完成後40年を経過する浄水場では、施設の老朽化が目立ち、平成17年度から電気設備などの更新事業を実施しています。また、水道本管については、強度の弱い石綿セメント管を鋳鉄管に取り替える工事が平成20年度でほぼ終了しました。
合併による水道事業の統合
平成23年10月11日に川口市と合併したことで、鳩ヶ谷市水道事業は川口市水道事業に統合され、現在に至ります。
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